かっぱの書棚

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君を失いたくない僕と、僕の幸せを願う君/神田 夏生

 

君を失いたくない僕と、僕の幸せを願う君 (電撃文庫)

君を失いたくない僕と、僕の幸せを願う君 (電撃文庫)

 

 お気に入り度:★★★★★

 

<感想>

これは決してハッピーエンドを諦めない物語

「私は、そうちゃんに、幸せになってほしいの。だから、私じゃ駄目」高校一年の夏。ようやく自覚した恋心を告げた日、最愛の幼馴染はそう答えた。自分は3年後には植物状態になる運命だ。だから俺には自分以外の誰かと幸せになってほしいのだと。運命を変えるため、タイムリープというチャンスを手に入れた俺。けれど、それは失敗の度に彼女にすべての痛みの記憶が蘇るという、あまりに残酷な試練で。何度も苦い結末を繰り返す中、それでも諦められない切ない恋の行方は―。ごめんな、一陽。お前が隣にいてくれるなら、俺は何度だってお前を助けるよ。

ハッピーエンドとは何かを考えたことがあります。好きな人と結ばれたらハッピーエンド? ヒロインが笑顔ならハッピーエンド? 僕にはどうもしっくりこなくて、それだけがハッピーエンドじゃないよなって思ったりします。誤解のないように言いますがハッピーエンドは大好きです。

 

『結婚エンドこそ至高』という話はよく耳にするけれど、個人的には結婚は終着点であり始まりなのではないか、その先は誰にもわからないんだ、などとグダグダ考えてしまったりします。

 

だから、大団円がハッピーエンドの象徴で、それ以外は違うと言うのはずっと腑に落ちなかったんです。誰かの幸せは誰かの犠牲の上に成り立っているのではないか。だったら登場人物がほんの少しでも前向きになることができたなら、それが幸せへの道筋に繋がっているのなら、それも列記としたひとつのハッピーエンドですよねという気持ちをずっと抱えてきました。

 

本作ではそんな『ハッピーエンドとは?』に切りこんだ青春物語になっています。

これがめちゃくちゃ良かった。

 

物語は主人公である蒼が幼馴染である一陽と何気ない日常を過ごすところから始まる。二人の幼馴染としての絶妙な関係性、恋人ではないのだけど、ともすれば恋人よりも近い関係性は、互いのことを気遣いあうことができる親しき仲にも礼儀ありのそれであったり、過去の思い出を共有できるところにまざまざと描かれています。

 

そんな日常の中で学校でも一目置かれたお嬢様として有名な涼夜蛍という少女と出会うことにななる。彼女は噂通りの近づくのも躊躇われてしまう容貌をしているのだけれど、いざ話してみると気さくで優しい少女であることがわかる少女に違いなくて。蒼と一陽はそんな出会いもありながら、普段と変わらない穏やかな日々を過ごしていました。

 

けれど、そんな変わらない日々が永遠に続くわけではないという不幸な現実が水面下で動いていることを蒼は知らなかった。というのも、とあるタイミングで一陽の態度の変化に蒼が違和感を覚える。追い打ちをかけるように涼夜と蒼が恋人として引っ付くように世話を焼いてくるところで流石に蒼は首をひねらざるを得なかった。

 

事あるごとにそういった空気にしてくる一陽に戸惑いながらも、蒼はそんな日々の中で自分が好きなのは一陽なのだと気づく。そして、約束した夏祭りの日に、彼女に告白しようと決意する。ここまでが物語の前提部分です。

 

蒼は決意の通りに祭りの日に告白をして、一陽の身に何があったのかを知ることになる。それは三年後に一陽が事故に遭うことで、一生目を覚まさない身体になってしまうという未来の話。今、一陽の身体の中にはタイムリープしてきた三年後の一陽がいるという衝撃の事実が明かされるんです。

 

そこから描かれるのは悲劇を回避するための二人のやり直しの物語です。ただこれが痛ましくて堪らない。タイムリープにおいて、基本的に記憶が残るのは主人公のみというのが設定として多く見られるものだったりします。"時間"という人の手には余るものに干渉する業を主人公が助けたい誰かのために一身に背負うというのがお決まりの構図で。

 

ただ、本作はそこが少し違う。タイムリープ直後は一陽は記憶を白紙に戻されるけれど、事故に遭えば、これまでのタイムリープで繰り返してきた痛みや苦しみを思い出すことになるのだ。無限にタイムリープをくり返しつづければ、それだけ彼女は痛い思いをすることになる。

 

これはぞっとする設定だなと感じました。蒼の選択が間違っていることで苦しい思いをするのは一陽で。そうして何度と事故に遭ってしまう一陽の姿を見ることで、蒼もまた心を痛める。一蓮托生、二人でひとつ、そんなイメージを抱きます。

 

ただ同時に良いなと思うのはこれって幼馴染だからこそ成立した設定だと思うんです。お互いのことを思い合って、お互いの幸せを願って、お互いの痛みをお互いが握り合っているというか。そこまでの絆の強さはそれこそ家族や、家族に似た関係性でしか確かめ合うこともできないし、最後の説得力にもつながらない。性格が悪いなと思うけれど、理に適った設定だと思いました。

 

また、勿論この物語は蒼と一陽、幼馴染二人の物語であることに違いはないのですが、このループ現象を引き起こした張本人の話もしておきたいな、と。その名前は涼夜蛍。誰よりも孤独でいながら、何よりも優しい魔法使いのことを話さずに終わってしまうのは勿体ないと思うんです。

 

彼女が魔法使いであることは物語終盤に明かされます。若くして命を落とした異世界の少女。それが涼夜の正体です。神様がそんな彼女のことを可哀想に想って、この世界に生まれ変わらせてくれた独りぼっちの少女。

 

彼女の印象的な台詞はやはりハッピーエンドへの解釈です。亡くなった人だけを一途に想いつづけてほしいというのは残酷だ。それはまさにその通りだと思います。亡くなった誰かだって多少の嫉妬は覚えど、大好きな人には幸せになってほしいはずなんだから。

 

ただ読み終った今では少し考えてしまう。涼夜の死に際ってまさにそうだったんじゃないかって。心から信頼できる人と志半ばで死に別れることになって、その誰かに対して涼夜は気持ちを引き留め続けるのはどこか違和感があって、涼夜はそのことが引っかかっているからこそ、この世界では独りぼっちで生きてきたんじゃないかって。諦めたって、逃げたって、別にいいじゃないか。僕もそう思います。

 

そう考えると、今回の蒼と一陽の選択は涼夜にとっては少し皮肉なようにも感じます。諦めずに抗いつづけたから導き出せた至上のハッピーエンド。しかもその土壌を用意しているのは他でもない涼夜という。ただ、ここで大事なのって人の考え方ってそれぞれだなあというところです。蒼が求めたのは超絶ハッピーエンドで、涼夜にとってのハッピーエンドはそうとも言えなくて、ハッピーエンドに対してだけでも色んな解釈ができちゃうんですよね。

 

だから今回のラストでじんわりと僕の心が温まったのは、異世界で諦めてしまった涼夜に残された魔法が蒼と一陽の関係性を守ったというところです。涼夜は心のどこかで蒼に諦めてほしかったんだと思います。そうすることで自分の過去を肯定したかった。けれど、同時に救いの道だって用意していた。心の別のどこかでは諦めないハッピーエンドがあったっていいじゃないかって気持ちもあったんじゃないかって。

 

だから、これはハッピーエンドの肯定の物語なんですよね。大団円だけじゃない。あなたが思ったあなただけのハッピーエンドが大団円のハッピーエンドを迎えるためのピースになることだってあって。それはきっと幸せに違いはないですよねって。

 

そんな風に考えると涼夜蛍という魔法使いがいかに不器用でいかに優しいかがわかるんじゃないでしょうか。

 

蒼と一陽が互いの想いをぶつけあうシーンも大好きです。誰かを想うという行為は本質的に自分勝手で、エゴで、わがままなものなんですよね。だから最初から最後まで二人は自己満足を貫き通すんです。互いを想い合うからこそ進んだ茨の道で、それでも好きなんだから仕方がないと至上のハッピーエンドを探す二人の姿はとても眩しかった。

 

また、大好きなシーンとして挙げられるのがひまわり畑での告白のシーンです。最後も最後ですね。一陽の笑顔の挿絵も相俟って抜群に良い余韻を味わえました。というのも、一回目の告白は一陽が泣いちゃうんですよね。告白されて嬉し泣きをするヒロインってよくいるとは思うんですけど、この作品では笑顔と泣き顔の対比になっていて、最後の告白を耳にして一陽が笑顔になってくれたのは、これからの二人の未来の輝きを予感させてくれる良い場面だったなと思いました。

 

ハッピーエンドは人それぞれです。諦めたからといって誰も非難はできないし、諦めたその先で幸せならそれだってハッピーエンドだ。涼夜蛍がそれは証明した。さりとて、最後には大団円、みんなが笑顔のハッピーエンドが嫌いな人なんていないでしょう。次作も楽しみだ。