かっぱの書棚

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101メートル離れた恋/こまつれい

 

101メートル離れた恋 (講談社ラノベ文庫)

101メートル離れた恋 (講談社ラノベ文庫)

 

 お気に入り度:★★★★★

 

 <感想>

てんこ盛りなジャンルを一冊にまとめあげた完成度!!

男子高校生の浅田ユヅキがある日目覚めると、女の子の人形の姿になっていた!

人形の名はセブンス。
一流の魔法使いであり人形師である朝霧キョウコが作り出した、世界最高クラスのスペックをもつレンタルサービス型の美少女オートマタである……らしい。
その役割は、依頼者との会話、家事、警備、さらに性行為にまで及ぶ。
セブンスになってしまったユヅキは、さまざまな男性の性処理のためにレンタルされ、心をすり減らす日々を過ごす。
やがて一ヵ月以上が過ぎ、精神的に限界を迎えつつあったとき、セブンスは女性の依頼者である高校生の少女イチコに出会う。
そして、二人は次第に惹かれ合い……!?
第8回講談社ラノベ文庫新人賞《大賞》受賞作!

 

宣伝文句にもある『百合』というフレーズには心から肯定できない自分がいるけれど、間違いなく作品として見たときよく出来た一冊に仕上がっていました。

 

どれだけ外見が美少女でも心が男であるならそれは百合とは呼べないのではないか。百合が好きであればあるほどそう思うのではないだろうか。そういう気持ちが僕にも少なからずありました。

 

けれど、そんな小言を吹き飛ばすほどにこの物語は完成度が高い。

 

人形の中に魂として紛れ込んだ男子高校生という冒頭は異世界転生を思わせるし、男女が入れ替わる俗に言う性転換、この世界に行き場を失くした共通点を抱える少女と織りなす青春、オートマタという自動人形が跋扈するSF的な世界観。

 

読者を襲うのはこれでもかというほど敷き詰められたジャンルの応酬。どれかひとつを切り取っても成立するくらいにナウなジャンルがぶつかり合いながら我こそはとせめぎ合っています。

 

ただ面白いのはこれだけジャンルがごった煮になっているのに、最後まで読み終わるとしっかりと要素と要素が手を取り合って共存していて、満足な読了感を得られるところでないかと感じました。

 

この熱量にも似た空気感は新人賞ゆえのものだなあと胸に響いたりもします。

 

そして肝心の物語は、セブンスという最新型オートマタとして目を覚ました男子高校生、浅田ユヅキを中心に動き始めます。人と見紛うほどに精巧な造りをしているオートマタの需要は多岐にわたるけれど、独身男性がとくに求めるのは性処理で。

 

だからセブンスも否応なく、その役割を果たすために日々を過ごすし、そんな過酷な毎日に涙を流すことだってあった。人よりも綺麗で、純粋な心を持った彼女だからこそオートマタの生活に苦痛を覚えるようにもなって。

 

そんなセブンスの転機は仕事でとある家に赴いたこと。学校にも通わずに孤高を貫くイチコという少女の家に貸し出されたことに尽きます。

 

初めはイチコも単なるオートマタには興味を持つことなく、人とは確かに違う機械的なオートマタという存在に心を動かされることはなかったけれど、セブンスのそのオートマタ離れした人間らしい反応に徐々に心を開いてくれるようになる。

 

それが、お互いの足りないところをお互いで補い合う生活の始まりだったわけです。

 

ざくっとしたあらすじは以上の通りなんですけど、二人の関係性が好きなのは言うまでもない!!

 

度重なる性処理に心がやつれていくセブンス、いじめにより心に傷を抱えたイチコ。心の置場を見つけることができない者同士である二人が結ぶ絆という名の青春にぴくりとも来ない人はこの作品を少しも良いとは思っていないのではないでしょうか。

 

ただ僕は読んでいて二人の関係性はもちろんのこと、セブンスの親にあたるキョウコの存在に何よりも心が動かされたタイプの人です。

 

オートマタは所詮オートマタでしかない。手を伸ばしたって人間にはなれないし、飛び跳ねたって人間と結ばれることはない。それは作中におけるセブンスとイチコのやり取りからも容易に察することが出来ます。

 

じゃあ作り手である彼女はセブンスのことをどう思っていたのだろう。そう考えずにはいられなかった。性処理により心を痛めて、毎日が苦痛でしかなくて、そんなセブンスを前にして彼女はオートマタだからそれも仕方がないと割り切っていたのだろうか。

 

そんなはずがないんですよね。そう断言できるシーンは最後のモノローグにまざまざと現れていました。

 

──だからこれ以上、そんなに悲しそうに笑わないでくれ、セブンス。

 

オートマタは愛されるために生まれてくるべきだ。これはキョウコの言葉ですが、本当にその通りだと思います。彼女はそれだけを願ってオートマタをつくっていたはず。いや、むしろ彼女はオートマタを作りつづける日々の中で強くそう思うようになっていったのではないか。だからセブンスほどの思考強度の高いオートマタを作ってしまったのではないか。本文に書かれている以上の色々な邪推をしてしまう自分がいました。

 

ゆえに彼女がセブンスに感傷的になっていないというのは大嘘なんですよね。

 

さらに言うなら、彼女の愛はセブンスを再び起動したところだとは僕は思っていません。もっと前から、もっと序盤で彼女はセブンスに感傷的になっています。

 

それはきっと、イチコの元に彼女を送り出したその行為ではないでしょうか。心に傷を負ったセブンスに生まれてきて良かったと少しでも思ってもらいたくて。そんな親心にも似たキョウコの感傷がセブンスとイチコの二人を繋げたのではないかという側面から僕はこの物語を読みました。

 

キョウコの愛し方は不器用で仕方がない。けれど、それは人と人形というより、母と子の不器用さではないかと今では感じてやまないのです。

 

101メートル離れた恋、これは2019年を代表する新人賞と言っていいと感じました。